日本の中学校1年生に贈る言葉を考えて、感じたこと
入学式のスピーチ
今年度から中学校の父母と教師の会、会長を務めることとなり入学式での祝辞が初任務となりました。
形式的なものよりは自分の体験もふまえたものにしようと、パキスタンの子供たちを見て感じたことも含めてお話をさせていただきました。
日本で学ぶ機会があるということは有難いことですが、パキスタンでは学校に行けず、働く子供たちを見てきました。彼らはほこりにまみれながらも、気高い顔つきをしていたように思います。
全ての子供たちがそうではないと思いますし、児童労働を肯定するわけでもありません。
ただ「幸せ」を尺度に、日本人の子供がパキスタンの子供よりも幸せなどとは軽々しくは言えないと感じるのです。
パキスタンの子供たちと中学校に入学してきた子供たちの決定的な違いは、選択肢があるか、ないかです。パキスタンで働く子供たちにはそれしか選択肢しかありません。
何故学ぶのか?それは大人にとっても重たい質問ですが、私は中学校で学ぶ事は少なくとも人生の選択肢を広げる可能性につながると思っています。
中学生時代の多感な時期に感じた、成功感や高揚感は、案外、人生航路を決定する重要な要素にもなっている、と自分自身を振り返って感じるからです。
日本の中学生が置かれる状況もまた過酷です。休みなしの部活や授業、昔の中学校より、生徒も先生も過密なスケジュールをこなしているように感じます。
その中では規律が重んじられ、どうしても同質化した組織特有の圧力が生まれ、その中に馴染まないものは疲れ、横に追いやられてしまう可能性をはらんでいます。
いい子になる必要なし!
スピーチでは「いい子になる必要はなし、助けが必要な時には大きな声で『助けてくれ』と言える人間になってください。」という話をさせていただきました。
大人は失敗の塊です。子供たちにも安心して失敗のできる環境で学ばせてあげたいと思います。
それには大人自身、大人のコミュニティーがその度量をもつ事が必要だと思うのですが、なかなか大人も忙しく、わが身で精一杯という現状があります。
そこを少しでもひとつづつ崩していく、ゆるめていくことが、私に与えられたひとつの役割なんじゃないか、と考える塩おやじでありました。