母と塩 最後のお別れ

 

昨年11月の動脈乖離を発症してから腎不全を併発し、在宅で闘病をしていた母が2月2日午前10時に家族に見守られながら安らかに息を引き取りました。享年83歳。

 

闘病中の3か月間、それはつらくとも、決して悪い時間ではなく、家族に様々な思い出を残してくれた濃密な時間でした。

 

50年前に片方の腎臓を摘出していた母は発病前から、何かの事があっても人工透析は受けずに自然に逝くという強い意思をもっていました。

 

緊急入院をした病院では透析を断ったため退院をせざるえなくなりましたが、結果的には2か月間の在宅看護での看取りは母にとってもよい良い時間を過ごすことができたと思います。

 

吐き気止めなどの最低限の薬は服用しましたが、退院後は私が勧める塩水療法や塩水での腸内洗浄をすることで、病院で強い利尿剤をうっても一滴もでなかったお小水がでるようになり、重く苦しむこともなく、最後まで家族や友人とのにぎやかな交流のなかで安心して逝くことができました。

 

ケアをしてくれた往診の先生や看護師、ヘルパーさんとも仲良くなり、最後に新たな友情を得ながら暖かい気持ちを保つことができたことに深い感謝を感じています。

 

最後は自分の命日を逆算して、覚悟をもって鎮静剤(モルヒネ)を医師に打っていただきましたが、その歳も「先生ありがとう」と握手する母をみて、母の意思の強さに改めて感服をいたしました。

 

鎮静剤を注射すると意思の疎通ができなくなり、だいたい72時間で心停止すると医師には告げられていたのですが、注射の翌日にお腹がすいたと30日ぶりにクリスタル岩塩で味付けをしたおかゆを口にし、「美味しい」と言いました。それを作ってくれたのが介護生活に入ってからできた新たな友人であり、うちのお掃除を担当してくれた野倉さんだったのですが、これが母が口にした最後の食事となりました。

 

その後、意識不明となってタンがからみ苦しそうな時間がありましたが、私が小型掃除機で手製のたん吸引機をつくり、タン吸引をしたことは今では笑い話になっていますが、その後、看護師さんが正式なたん吸引機を用意してくれ、タン吸引も少しづつ上達し、それを見守る姪っ子たちが「とれた、とれた」と喜ぶ姿に、この子たちは母の衰弱していく姿をちゃんと見守ってくれている。と、母が最期の授業をこの子たちにしてくれているのだと感じました。

 

私たち家族の介護や治療方針について、違うやり方を進める親切な声もいただいたのですが、迷いなく母の意思を尊重したことで、お互いに悔いのないハレバレとした最後を迎えられたと思っています。

 

2月2日の朝も母が少し早い息をしていましが、タンがつまることもなく表情も穏やかでした。横で仕事をしていたのですが、その息が少しづつ弱くなってきたことを感じたので、最後が近いことを直観し、クリスタル岩塩の一粒を母の口に含ませて、皆を集めました。愛犬を含めて皆が見守るなか、冬の温かい日の光のなか、みなに手を握られて安らかに最後の一息をつきました。

 

その後、身を清めるため看護師さんが処置をしてくれたのですが、最後までお小水がでていたこと、口のなかが非常にきれいであること、肌が非常にきれいであることを医師とともに驚いていました。

 

私は最後まで塩水が母を守ってくれたのだと思っています。

 

母は自分の最期のセレモニーである葬儀についても、自分の装束、遺影、祭壇のレイアウト、BGMまで指定し、葬儀会社の担当者との打ち合わせをしようとすると同席すると言い出して、皆をあきれさせましたが、自分の命日も皆が覚えやすい令和2年の2月2日という照準にピタリとあて、通夜、本日の告別式も真っ青な晴天日にさせたのも母の神通力かと思っています。

 

生前はおしゃべりな食いしん坊で肥満気味の母でしたが、最後は澄んだ良い顔になりました。

今までいろいろとお世話になり、アドバイスをいただきました皆様に深く御礼を申し上げます。