植民地と塩

イギリスが世界に植民地を広げるため、塩は重要な戦略物質でした。

冷蔵技術のなかった時代においては食物の貯蔵に欠かせず、毛皮を鞣すために必要とされ、火薬の原料ともなった塩を、いかに大量にもつかが重要だったからです。

塩蔵品である塩漬けされた肉や魚がイギリス海軍の糧食となったわけですが、敵国であるフランス産の塩のほうが豊富で質も良かったため、イギリスはポルトガルと同盟を結んで質の良いポルトガル産の塩を手に入れ、植民地で塩を確保することでフランスに対抗しました。

アメリカ大西洋側の豊富な漁場に目をつけたイギリス人が、この海を無尽蔵な宝箱に変える一手として用いたのも塩でした。塩漬けされたニシン、タラを世界中に交易させることで面白いように財をなすことができたからです。

アメリカは貿易によって徐々に力をつけていきますが、塩についてはいつまでもイギリス頼りのままだったため、イギリスの呪縛から逃れることができませんでした。

1775年にボストンで起こったイギリス軍と反乱軍との戦いで、反乱軍はトーマス・ゲージ将軍率いるイギリス軍に深刻な打撃を与えましたが、イギリスは反乱軍鎮圧のため海上封鎖をすると、アメリカ側はたちまち深刻な塩不足に陥って、陸軍の行軍、医療面で窮地に追い込まれました。

※Wikipediaより引用

イギリスは手を緩めることなく、アメリカの製塩所を攻撃、破壊し、とにかく塩の供給を絶つことでアメリカを支配しようとしました。

アメリカはこれ以降、製塩所への補助金制度や製塩業者への兵役免除をもって、塩の自給に乗り出しますが、1783年パリ条約が結ばれるまでイギリスとの争いは続き、塩を他国に頼らなければならない新生国家の試練を味わいました。

 

塩を巡る戦いは今、表沙汰になることはありませんが、命をつなぐ「塩と水」をどのように確保していくかは、21世紀以降の我々日本人にとっても大きな命題なのかもしれません。