「乾くこと、潤うこと、その塩梅について」

「乾くこと、潤うこと、その塩梅について」

人生で一番うまかったものは?

今までの人生の中で最もうまかったものは何か?

家族で囲んだ食卓、妻の手料理、なつかしい母の味、人生は数々の美味しいもので彩られてきましたが、ベストワンは喉が思いっきり渇いた時に飲む水の美味さではないかと思っています。

 もう、喉が渇いて今にも死にそうだ!!と渇望して飲む水の美味さには、どんなご馳走でも勝てません。

 私が、水のうまさを知ったのは、昭和の時代の部活でした。

 その当時は、運動中に水を飲むとバテる、弱くなる、という考え方が広く浸透しており、私が所属していた中学校のサッカー部も、練習中の飲水については厳しく制限されていました。「この練習が終われば冷たい水が飲める!」という渇望感には強烈なものがあって、練習が終わると一目散に水筒めがけて走っていたような記憶があります。

時代が移り、水分補給の重要性が広く浸透し、喉が渇く前に水を飲むように周知され、年齢を経て激しい運動とも縁遠くなって、あのしびれるような渇望感を味わうこともなくなりました。

それ自体は安全で良い事なのだと思いますし、40年前とは日本の夏の暑さの質が変わったこともありますので、喉が渇く前にこまめに水分補給することは大切だと思っています。

水を飲むとバテるには一理ある

最近、ワールドカップラグビーで注目される日本代表が意識的に飲水の機会を減らす練習をとりいれているという情報を聞き、昭和の時代に水を飲むとバテるとされた論もあながちすべてが間違っていたわけではないのか?と思うようになりました。

人の人生にはハレとケ、日常と非日常があり、ラグビーの試合はまさに命をかけた非日常であり、そこで馬力を発揮させるための戦闘モードにはいるためには、乾いた状態をうけいれる素地が必要なのでしょう。

 命をちょっと危ない方向へもっていくことで発動される人間の底力みたいなものでしょうか。

 安全な日常を、水を蓄えた状態ですごせば、心身は安寧な状態になりますが、それだけでは満たされない不条理を抱えているのも人間の性です。

 たまにスッカラカンになるまでに自分のエネルギーを発散し、昇華させたいという動物的な本能は乾いた状態で発揮されます。それがスポーツであったり、格闘技であったり、祭りであったり、エンタメであったりするわけで、その塩梅をちょうどバランスよくとっていくことが、いつまでも活き活きと生きる活力になりそうです。

塩水健康法では体の中を塩水で潤して元気になる!をモットーにしていますが、その水は常に動き、排出され、また入ってくる循環のイメージがあります。常に水不足で乾いた状態はつらく、精神的に幸せになるのが難しいですが、たまに意識的に乾いてみることは、命の強度を練っておくという面では大切であるとも感じます。

安易な断食や断水は健康へのリスクが高いですが、意識的に水立ちをして、自分をしぼってみることの効果についても、自分自身の体を使って検証していきたいと思っています

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