塩水健康法ブログ

「乾くこと、潤うこと、その塩梅について」
人生で一番うまかったものは? 今までの人生の中で最もうまかったものは何か? 家族で囲んだ食卓、妻の手料理、なつかしい母の味、人生は数々の美味しいもので彩られてきましたが、ベストワンは喉が思いっきり渇いた時に飲む水の美味さではないかと思っています。 もう、喉が渇いて今にも死にそうだ!!と渇望して飲む水の美味さには、どんなご馳走でも勝てません。 私が、水のうまさを知ったのは、昭和の時代の部活でした。 その当時は、運動中に水を飲むとバテる、弱くなる、という考え方が広く浸透しており、私が所属していた中学校のサッカー部も、練習中の飲水については厳しく制限されていました。「この練習が終われば冷たい水が飲める!」という渇望感には強烈なものがあって、練習が終わると一目散に水筒めがけて走っていたような記憶があります。 時代が移り、水分補給の重要性が広く浸透し、喉が渇く前に水を飲むように周知され、年齢を経て激しい運動とも縁遠くなって、あのしびれるような渇望感を味わうこともなくなりました。 それ自体は安全で良い事なのだと思いますし、40年前とは日本の夏の暑さの質が変わったこともありますので、喉が渇く前にこまめに水分補給することは大切だと思っています。 水を飲むとバテるには一理ある 最近、ワールドカップラグビーで注目される日本代表が意識的に飲水の機会を減らす練習をとりいれているという情報を聞き、昭和の時代に水を飲むとバテるとされた論もあながちすべてが間違っていたわけではないのか?と思うようになりました。 人の人生にはハレとケ、日常と非日常があり、ラグビーの試合はまさに命をかけた非日常であり、そこで馬力を発揮させるための戦闘モードにはいるためには、乾いた状態をうけいれる素地が必要なのでしょう。 命をちょっと危ない方向へもっていくことで発動される人間の底力みたいなものでしょうか。 安全な日常を、水を蓄えた状態ですごせば、心身は安寧な状態になりますが、それだけでは満たされない不条理を抱えているのも人間の性です。 たまにスッカラカンになるまでに自分のエネルギーを発散し、昇華させたいという動物的な本能は乾いた状態で発揮されます。それがスポーツであったり、格闘技であったり、祭りであったり、エンタメであったりするわけで、その塩梅をちょうどバランスよくとっていくことが、いつまでも活き活きと生きる活力になりそうです。 塩水健康法では体の中を塩水で潤して元気になる!をモットーにしていますが、その水は常に動き、排出され、また入ってくる循環のイメージがあります。常に水不足で乾いた状態はつらく、精神的に幸せになるのが難しいですが、たまに意識的に乾いてみることは、命の強度を練っておくという面では大切であるとも感じます。 安易な断食や断水は健康へのリスクが高いですが、意識的に水立ちをして、自分をしぼってみることの効果についても、自分自身の体を使って検証していきたいと思っています
「乾くこと、潤うこと、その塩梅について」
人生で一番うまかったものは? 今までの人生の中で最もうまかったものは何か? 家族で囲んだ食卓、妻の手料理、なつかしい母の味、人生は数々の美味しいもので彩られてきましたが、ベストワンは喉が思いっきり渇いた時に飲む水の美味さではないかと思っています。 もう、喉が渇いて今にも死にそうだ!!と渇望して飲む水の美味さには、どんなご馳走でも勝てません。 私が、水のうまさを知ったのは、昭和の時代の部活でした。 その当時は、運動中に水を飲むとバテる、弱くなる、という考え方が広く浸透しており、私が所属していた中学校のサッカー部も、練習中の飲水については厳しく制限されていました。「この練習が終われば冷たい水が飲める!」という渇望感には強烈なものがあって、練習が終わると一目散に水筒めがけて走っていたような記憶があります。 時代が移り、水分補給の重要性が広く浸透し、喉が渇く前に水を飲むように周知され、年齢を経て激しい運動とも縁遠くなって、あのしびれるような渇望感を味わうこともなくなりました。 それ自体は安全で良い事なのだと思いますし、40年前とは日本の夏の暑さの質が変わったこともありますので、喉が渇く前にこまめに水分補給することは大切だと思っています。 水を飲むとバテるには一理ある 最近、ワールドカップラグビーで注目される日本代表が意識的に飲水の機会を減らす練習をとりいれているという情報を聞き、昭和の時代に水を飲むとバテるとされた論もあながちすべてが間違っていたわけではないのか?と思うようになりました。 人の人生にはハレとケ、日常と非日常があり、ラグビーの試合はまさに命をかけた非日常であり、そこで馬力を発揮させるための戦闘モードにはいるためには、乾いた状態をうけいれる素地が必要なのでしょう。 命をちょっと危ない方向へもっていくことで発動される人間の底力みたいなものでしょうか。 安全な日常を、水を蓄えた状態ですごせば、心身は安寧な状態になりますが、それだけでは満たされない不条理を抱えているのも人間の性です。 たまにスッカラカンになるまでに自分のエネルギーを発散し、昇華させたいという動物的な本能は乾いた状態で発揮されます。それがスポーツであったり、格闘技であったり、祭りであったり、エンタメであったりするわけで、その塩梅をちょうどバランスよくとっていくことが、いつまでも活き活きと生きる活力になりそうです。 塩水健康法では体の中を塩水で潤して元気になる!をモットーにしていますが、その水は常に動き、排出され、また入ってくる循環のイメージがあります。常に水不足で乾いた状態はつらく、精神的に幸せになるのが難しいですが、たまに意識的に乾いてみることは、命の強度を練っておくという面では大切であるとも感じます。 安易な断食や断水は健康へのリスクが高いですが、意識的に水立ちをして、自分をしぼってみることの効果についても、自分自身の体を使って検証していきたいと思っています

元気の巡らし方の考察①
幸せは自分で決める 人間誰しも、順風満帆なままの人生なんてありえず、幸運があったり、不運があったりします。かく言う私も、あっちこっちにぶつかりながら、なんとかヨレヨレと歩いています。そのなかで、今感じる、元気の巡らし方について、恐縮ながら、おっさんの小さな持論をお伝えしようと思います。 上手く行かない事、感情が乱される事、それが人生の大半以上であるような気がしますが、そこには必ず、その要因があるものです。過去のトラウマだったり、過剰な承認欲求であったり、原因は様様ですが、なんとなくシックリこないという感情を100%抱くことなく暮らす人はゴクゴク少数ではないでしょうか。傍からみれば順風満帆そうな有名人が深い悩みを抱えていたり、お金持ちにはお金持ちの苦労があったり、人の幸せなんてわからないものです。結局、自分の幸せを作るのも感じるのも自分次第。人と自分を比べたりはしないほうがいいですね。あんな風になりたい、目標とする人物がいるのはポジティブな事で、特に少年少女時代の憧れやヒーローがその人の人生を良くしたりしますが、どこかでそのイメージと決別をして、自分自身の個性を、良いところも悪いところも受け入れることが、もしかすると大人になるって事なのかもしれません。幸せの形も人それぞれ、自分自身が幸せを感じれば万事OKです。①幸せは自分で決める! 想いを形にする 自分は「妄想」する事が好きで、ボーっとしながら(と、傍からは見えるようですが)いろんな妄想をよくしています。良くない妄想が大半なのですが(笑)、今後の経営のこと、家族のこと、こんな風になると幸せだろうなぁ。という妄想も、やはりしていて、それを文字にして日記に書いています。つけているのは3年日記で、日常の些細なメモが大半ですが、去年、一昨年の同日に自分がどんな事をしていたのかを知ることができて、毎日のちょっとした楽しみです。受験浪人をしていた息子に3年日記をプレゼンとしたところ、彼はハマってくれて、今では周りの友人にも勧めているそうです。若い日記仲間が増えているのはうれしいですね。 私の日記には、将来こんな風にしたいという記述がたまにでてくるのですが、割とそれが現実になっていたりするので、妄想はできるだけ形にして残すようにしています。 ②想いを形にする! 良き友とは、ほったらかしあう関係 自分はマイペースで、あまり人の事を気にしない性質が幸いしてか、友人には恵まれていると思います。あまり人の事を気にしないのに友人に恵まれるって?逆説的ではあるのですが、好きな人と好きなようなつきあいをしているので、別に一緒にいなくてもいいし、お互いに元気にやって、たまに会って近況報告できれば、それでOK。幸せは自分で決めるのと同様に、友も自分で選びます。それには、お互いが自分の生活をもっているという事が大事だし、お互いがほったらかしあえる関係がいいですね。いざという時には頼りになる、それで良いのだと思います。 ③良き友とは、ほったらかしあう関係 季節はめぐり、期は熟す なんだか、偉そうに書いていますが、私も人間関係に傷つき、悩み落ち込んだことがあります。あぁ、もうダメかなぁと、何度思ったことでしょうか。それでもしぶとく生きているのは、単に季節が巡っているから!?と最近よく思います。中島みゆきの「時代」という歌詞が好きなのですが・・・ 「時代」作詞作曲:中島みゆき 今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって めぐりあうよ この歌詞の中の特に↓ そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう この箇所、自分もですが、きっと多くの人の心の支えや助けになっているのだろうなぁ。中島みゆきは、偉大です。悪い時は良くなる前触れ、努力や才能が足りないのではなくて、「まだ、期が熟していない」だけなのだと。いつか季節は巡って良い時がきっとくるよ。と思うことにしています。 ④季節はめぐり、期は熟す 本日の、塩Gの元気の巡らし方の考察をまとめると・・ (し)幸せは自分で決める! (お)思いを形にする! (よ)良き友とは、ほったらかしあう関係 (き)季節はめぐり、期は熟す でした!!おつきあいいただき、ありがとう
元気の巡らし方の考察①
幸せは自分で決める 人間誰しも、順風満帆なままの人生なんてありえず、幸運があったり、不運があったりします。かく言う私も、あっちこっちにぶつかりながら、なんとかヨレヨレと歩いています。そのなかで、今感じる、元気の巡らし方について、恐縮ながら、おっさんの小さな持論をお伝えしようと思います。 上手く行かない事、感情が乱される事、それが人生の大半以上であるような気がしますが、そこには必ず、その要因があるものです。過去のトラウマだったり、過剰な承認欲求であったり、原因は様様ですが、なんとなくシックリこないという感情を100%抱くことなく暮らす人はゴクゴク少数ではないでしょうか。傍からみれば順風満帆そうな有名人が深い悩みを抱えていたり、お金持ちにはお金持ちの苦労があったり、人の幸せなんてわからないものです。結局、自分の幸せを作るのも感じるのも自分次第。人と自分を比べたりはしないほうがいいですね。あんな風になりたい、目標とする人物がいるのはポジティブな事で、特に少年少女時代の憧れやヒーローがその人の人生を良くしたりしますが、どこかでそのイメージと決別をして、自分自身の個性を、良いところも悪いところも受け入れることが、もしかすると大人になるって事なのかもしれません。幸せの形も人それぞれ、自分自身が幸せを感じれば万事OKです。①幸せは自分で決める! 想いを形にする 自分は「妄想」する事が好きで、ボーっとしながら(と、傍からは見えるようですが)いろんな妄想をよくしています。良くない妄想が大半なのですが(笑)、今後の経営のこと、家族のこと、こんな風になると幸せだろうなぁ。という妄想も、やはりしていて、それを文字にして日記に書いています。つけているのは3年日記で、日常の些細なメモが大半ですが、去年、一昨年の同日に自分がどんな事をしていたのかを知ることができて、毎日のちょっとした楽しみです。受験浪人をしていた息子に3年日記をプレゼンとしたところ、彼はハマってくれて、今では周りの友人にも勧めているそうです。若い日記仲間が増えているのはうれしいですね。 私の日記には、将来こんな風にしたいという記述がたまにでてくるのですが、割とそれが現実になっていたりするので、妄想はできるだけ形にして残すようにしています。 ②想いを形にする! 良き友とは、ほったらかしあう関係 自分はマイペースで、あまり人の事を気にしない性質が幸いしてか、友人には恵まれていると思います。あまり人の事を気にしないのに友人に恵まれるって?逆説的ではあるのですが、好きな人と好きなようなつきあいをしているので、別に一緒にいなくてもいいし、お互いに元気にやって、たまに会って近況報告できれば、それでOK。幸せは自分で決めるのと同様に、友も自分で選びます。それには、お互いが自分の生活をもっているという事が大事だし、お互いがほったらかしあえる関係がいいですね。いざという時には頼りになる、それで良いのだと思います。 ③良き友とは、ほったらかしあう関係 季節はめぐり、期は熟す なんだか、偉そうに書いていますが、私も人間関係に傷つき、悩み落ち込んだことがあります。あぁ、もうダメかなぁと、何度思ったことでしょうか。それでもしぶとく生きているのは、単に季節が巡っているから!?と最近よく思います。中島みゆきの「時代」という歌詞が好きなのですが・・・ 「時代」作詞作曲:中島みゆき 今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも 生まれ変わって めぐりあうよ この歌詞の中の特に↓ そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう この箇所、自分もですが、きっと多くの人の心の支えや助けになっているのだろうなぁ。中島みゆきは、偉大です。悪い時は良くなる前触れ、努力や才能が足りないのではなくて、「まだ、期が熟していない」だけなのだと。いつか季節は巡って良い時がきっとくるよ。と思うことにしています。 ④季節はめぐり、期は熟す 本日の、塩Gの元気の巡らし方の考察をまとめると・・ (し)幸せは自分で決める! (お)思いを形にする! (よ)良き友とは、ほったらかしあう関係 (き)季節はめぐり、期は熟す でした!!おつきあいいただき、ありがとう

孤育てにしない、地域での育て愛
目次 家族崩壊の危機がありました 家族を救ってくれたおばちゃん・おじちゃん達 熱き心をもつモギチャン フードパントリーえんむすびの夏祭り 家族崩壊の危機がありました うちの子供たちは年子の兄弟で、かみさんが二人をたて続けに産んでくれたという時、自分の仕事は最悪で、幸せなはずなのに、大変すぎて幸せを感じられない時代がありました。当時は会社員として働いており、朝早く夜も遅い不規則な長時間労働で、通勤も都内まで1時間半かかり、徹夜で会社に泊まることもよくありました。当然、家に帰ればクタクタで家事の手伝いもしないダメ夫でした。 かみさんは、若手の版画家でしたが、結婚を機に制作が思うようにできないことにストレスもためていました。そのうえで、子供が二人もできたのに、夫はなかなか家にいない。その大変さを理解してくれない、3重苦くらいの中にいたのだと、今では、想像できるのですが、当時は妻の苦労がまったくわかりませんでした。仕事ばかりに気を取られて、妻への労りもなく、子育てを妻に丸投げしていたのです。 家族を救ってくれたおばちゃん・おじちゃん達 夫婦のいさかいも当然増えました。妻は自分のつらさをわかってくれない夫に、夫(自分)は自分の仕事のつらさを理解してくれない(と思ってしまった)妻に苛立ちました。 お互いにもうダメかもしれないと思った事が何度もあります。それを乗り越えられたのは、ただ、妻が、母親としての心を折ることはなかったという一点につきると思っていますが、もうひとつ助けとなったのが、近所のおばちゃん・おじちゃん達の存在でした。当時住んでいた団地の一角に、子育て支援をする一時預かり所が、地元の有志達によって立ち上げられました。妻はそこに顔をだすようになり、子供たちをみてもらい、愚痴を聞いてもらい、悩みを相談することで、壊れそうだった子育てのピンチをなんとか切り抜けました。あの場所と妻の頑張りがなければ、今ごろうちの家族はどうなっていたのだろうと、思うことがあります。本当に家族崩壊のピンチを救ってくれた存在だったのです。 熱き心をもつモギチャン その後、私は会社を退職して源気商會を起業し、現在は4名のスタッフに支えられていますが、そのうち3名は子育て中の母たちです。弊社の仕事は基本的には通勤の必要がなく、子育てと仕事が両立できる環境なのです。 スタッフの一人から「ひとり親世帯を支援するボランティア団体」を立ち上げたい、と相談を受けたのが2年前でした。そこからあれよ、あれよという間に、組織を立ち上げ、活動は本格化していきました。そのスタッフとは、みんなから親しみをこめて「モギチャン」と呼ばれている「フードパントリーえんむすび」代表の毛木宏美さんです。モギチャンは私からみれば「熱き心」をもつ正義の人で、たまに熱くなりすぎるのも人間らしく、私の大好きな友人の一人でもあり、源気商會の大事なスタッフです。モギチャンがたちあげた「フードパントリーえんむすび」では、月1回のフードパントリー(食品支援)を開催していて、私もボランティアとして活動をお手伝いしています。 フードパントリーえんむすび代表 毛木宏美さん フードパントリーえんむすびの夏祭り 8月は、通常のフードパントリーと、子供たち向けの夏休みイベントをやろう!ということになり、昨日がその開催日でした。えんむすびの夏祭りと称して、ボラメンバーが、スーパーボールすくい、輪投げ、カン倒し、等のゲームを準備し、子供たちに遊びのスタンプラリーをやってもらって、最後にお菓子とアイスを配るという趣向でした。昨日は44人の子供たちと11名の親御さんが会場に足を運んでくれて、夏の半日を楽しみました。 私も子供の将棋の相手や、輪投げゲームの担当をしたのですが、スタスタと近づいて私の膝にちょこんと座る男の子が一人いて、その重さはなつかしい息子たちの幼少期と重なりました。子供たちの笑顔や存在自体に私自身も癒され元気をいただいているのです。 印象的だったのは、休憩スペースでくつろぐお母さんたちの表情でした。いったん、肩の荷をおろしてホッとされている様子が、色濃く見受けられ、それは、毎日の大変さの表れのようでもありました。 ひとり親にとって、今の夏休みは過酷だと思います。冷房は常時つけなくてはならない、給食はない、家だけではストレスがたまる一方で、どこかに子供を連れて行ってあげたい。しかし、時間的にも精神的にも余裕はない。それを相談する相手もいない「孤育て」になれば、追い詰められるしかないと、想像いたします。 モギチャンが提供しているのは食品だけではなく、「ここに味方はいるよ」というメッセージなのだと思っています。 長い夏休みの一コマだったかもしれませんが、親子の心の風通しが少し良くなり、ほぐれるような時間でした。それは一方通行ではなく、ボランティアをする側もされる側も両方に心のうるおいを与えてくれました。このご近所同士の育てあいはきっと、この先に「育て愛」という実が結ぶと思います。微力ですが、私もそのお手伝いをやっていきます。 昨日は、当社の御取引先であり、ボランティア活動に継続的な寄付をいただいている整体院の先生にも見学に来ていただきました。ご支援をいただいている関係者の皆様にも深く御礼を申し上げます!!★フードパントリーえんむすびのインスタ★フードパントリーえんむすびの問い合わせ先
孤育てにしない、地域での育て愛
目次 家族崩壊の危機がありました 家族を救ってくれたおばちゃん・おじちゃん達 熱き心をもつモギチャン フードパントリーえんむすびの夏祭り 家族崩壊の危機がありました うちの子供たちは年子の兄弟で、かみさんが二人をたて続けに産んでくれたという時、自分の仕事は最悪で、幸せなはずなのに、大変すぎて幸せを感じられない時代がありました。当時は会社員として働いており、朝早く夜も遅い不規則な長時間労働で、通勤も都内まで1時間半かかり、徹夜で会社に泊まることもよくありました。当然、家に帰ればクタクタで家事の手伝いもしないダメ夫でした。 かみさんは、若手の版画家でしたが、結婚を機に制作が思うようにできないことにストレスもためていました。そのうえで、子供が二人もできたのに、夫はなかなか家にいない。その大変さを理解してくれない、3重苦くらいの中にいたのだと、今では、想像できるのですが、当時は妻の苦労がまったくわかりませんでした。仕事ばかりに気を取られて、妻への労りもなく、子育てを妻に丸投げしていたのです。 家族を救ってくれたおばちゃん・おじちゃん達 夫婦のいさかいも当然増えました。妻は自分のつらさをわかってくれない夫に、夫(自分)は自分の仕事のつらさを理解してくれない(と思ってしまった)妻に苛立ちました。 お互いにもうダメかもしれないと思った事が何度もあります。それを乗り越えられたのは、ただ、妻が、母親としての心を折ることはなかったという一点につきると思っていますが、もうひとつ助けとなったのが、近所のおばちゃん・おじちゃん達の存在でした。当時住んでいた団地の一角に、子育て支援をする一時預かり所が、地元の有志達によって立ち上げられました。妻はそこに顔をだすようになり、子供たちをみてもらい、愚痴を聞いてもらい、悩みを相談することで、壊れそうだった子育てのピンチをなんとか切り抜けました。あの場所と妻の頑張りがなければ、今ごろうちの家族はどうなっていたのだろうと、思うことがあります。本当に家族崩壊のピンチを救ってくれた存在だったのです。 熱き心をもつモギチャン その後、私は会社を退職して源気商會を起業し、現在は4名のスタッフに支えられていますが、そのうち3名は子育て中の母たちです。弊社の仕事は基本的には通勤の必要がなく、子育てと仕事が両立できる環境なのです。 スタッフの一人から「ひとり親世帯を支援するボランティア団体」を立ち上げたい、と相談を受けたのが2年前でした。そこからあれよ、あれよという間に、組織を立ち上げ、活動は本格化していきました。そのスタッフとは、みんなから親しみをこめて「モギチャン」と呼ばれている「フードパントリーえんむすび」代表の毛木宏美さんです。モギチャンは私からみれば「熱き心」をもつ正義の人で、たまに熱くなりすぎるのも人間らしく、私の大好きな友人の一人でもあり、源気商會の大事なスタッフです。モギチャンがたちあげた「フードパントリーえんむすび」では、月1回のフードパントリー(食品支援)を開催していて、私もボランティアとして活動をお手伝いしています。 フードパントリーえんむすび代表 毛木宏美さん フードパントリーえんむすびの夏祭り 8月は、通常のフードパントリーと、子供たち向けの夏休みイベントをやろう!ということになり、昨日がその開催日でした。えんむすびの夏祭りと称して、ボラメンバーが、スーパーボールすくい、輪投げ、カン倒し、等のゲームを準備し、子供たちに遊びのスタンプラリーをやってもらって、最後にお菓子とアイスを配るという趣向でした。昨日は44人の子供たちと11名の親御さんが会場に足を運んでくれて、夏の半日を楽しみました。 私も子供の将棋の相手や、輪投げゲームの担当をしたのですが、スタスタと近づいて私の膝にちょこんと座る男の子が一人いて、その重さはなつかしい息子たちの幼少期と重なりました。子供たちの笑顔や存在自体に私自身も癒され元気をいただいているのです。 印象的だったのは、休憩スペースでくつろぐお母さんたちの表情でした。いったん、肩の荷をおろしてホッとされている様子が、色濃く見受けられ、それは、毎日の大変さの表れのようでもありました。 ひとり親にとって、今の夏休みは過酷だと思います。冷房は常時つけなくてはならない、給食はない、家だけではストレスがたまる一方で、どこかに子供を連れて行ってあげたい。しかし、時間的にも精神的にも余裕はない。それを相談する相手もいない「孤育て」になれば、追い詰められるしかないと、想像いたします。 モギチャンが提供しているのは食品だけではなく、「ここに味方はいるよ」というメッセージなのだと思っています。 長い夏休みの一コマだったかもしれませんが、親子の心の風通しが少し良くなり、ほぐれるような時間でした。それは一方通行ではなく、ボランティアをする側もされる側も両方に心のうるおいを与えてくれました。このご近所同士の育てあいはきっと、この先に「育て愛」という実が結ぶと思います。微力ですが、私もそのお手伝いをやっていきます。 昨日は、当社の御取引先であり、ボランティア活動に継続的な寄付をいただいている整体院の先生にも見学に来ていただきました。ご支援をいただいている関係者の皆様にも深く御礼を申し上げます!!★フードパントリーえんむすびのインスタ★フードパントリーえんむすびの問い合わせ先

原爆症と食塩治療
目次 身近にあった戦争の痕跡 原爆は特別の恐怖 原爆症と食塩治療 放射能症に苦しむ日々がはじまる 爆心地から同心円状で症状がかわる ミネラル栄養論を治療に実践 身近にあった戦争の痕跡 終戦から78年の時が流れて時代は変わりました。戦争に対する感受性やとらえ方が変わったと感じます。私の少年時代、昭和40年から50年は戦後たった20年から30年しかたっておらず、周りには戦争体験をした多くの大人たちがいました。3年前に82歳で亡くなった私の母もその一人で、小学校3年生だった時に現在の北朝鮮から日本に引き揚げてきた経験をもっていました。祖母、祖父の口からその話を聞いた記憶がありませんが、私は母から何度も戦争体験を聞いて育ち、母は亡くなる前に、孫子の世代まで伝えるようにと、引き揚げ時の手記を私に託して逝きました。そんな母に育てられ、「はだしのゲン」(中沢啓次)、「太陽の子」(灰谷健次郎)、「ガラスのうさぎ」(高木敏子)といった文芸作品に接することで戦争への恐怖と、反戦の心構えのようなものを培われた気がしています。昭和の時代に育った同年代には同じような体験をした方も多いのではないでしょうか。 原爆は特別の恐怖 戦争の悲劇のなかでも広島と長崎の原爆(水爆)の話は、子供心にも特別に恐ろしく、人が人に対してなぜこんな恐ろしいことができたのだろうかという疑問を強くもったものでした。その苦しみは経験した方にしかわかりませんが、昭和という時代に育てられた私たちは、その苦しみを、今よりも近くで想像できた者として、戦争の悲惨さと恐ろしさを次の世代に伝える役目があると思っています。 原爆症と食塩治療 私のブログは「塩と水」をテーマにしており、今回は原爆症と食塩治療についてご紹介しようと思いますが、重く痛ましい歴史に対して、軽々しい持論を展開するべきではないと考え、淡々と、このような逸話があったという事のみ、原著を引用させていただく形でご紹介させていただこうと思います。引用書籍 「死の同心円 ―長崎被爆医師の記録―」(秋月辰一郎) 著者紹介/秋月辰一郎・・1916年長崎市生まれ。京都大学医学部卒。1940年長崎医科大学放射線科に勤務。1944年浦上第一病院の医長となる。1945年8月9日同病院勤務中に原子爆弾が投下される。浦上第一病院は大破したが倒壊を免れ、入院患者も職員も直接被爆の犠牲者はひとりもでなかった。地獄絵のような被爆地で多数の患者の治療に専念。被爆医療のかたわら「長崎の証言の会」の会長をつとめるなどして被爆体験、被災資料の収集につとめた。1972年吉川英治文化社会賞、1973年読売新聞医療厚労賞、1975年朝日賞などを受賞。著作活動にも業績を残した。2005年永眠。 書籍「死の同心円」にある著者近影写真 秋月辰一郎医師 ~場面は終戦後から、秋月医師の苦悩が描かれます~以下、引用(死の同心円、130pより) 放射能症に苦しむ日々がはじまる 夜、私は全身に叩かれたような疲労を感じた。一週間近く病院の庭でごろ寝し、診療に走り回ったせいばかりではない。なにかあると思ったとき、私はふと自分の症状がレントゲン・カーター(レントゲン宿酔)に酷似していることを自覚した。長崎医大付属病院で、私は永井隆助教授の助手として1年間放射線教室に勤務したとき、何度かレントゲン・カーターに苦しめられた。これは、連続してX線の深部治療をうけた患者に見られる一種の病的症状である。医師も週のはじめから毎日X線の透視をやっていると、金曜日ごろになるときまって気分が悪くなった。X線は、多量にあれば人間の細胞を破壊する。幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞など、生命現象の営みの盛んな細胞は、X線によって壊死する。 原子爆弾はいかなる放射線を生じるのだろうか。ラジウム、レントゲン、ガンマー線に似たようなものが、人間の造血組織や骨髄組織を破壊するのか。だから紫斑病のような患者があらわれたのだ。私はそこまで推理したが、その先はわからない。 終戦を転機にして、あちこちで原子爆弾という言葉が口にされ、長崎の人々をおびやかした。八月十三日ごろ、空から撒かれた米軍のビラを手に入れた長崎医大の教授の話によると、それは菊花の御紋章とともに、つぎのような文章が印刷されていたという。「日本のみなさん。広島、長崎に投下された新型爆弾はおそろしい原子爆弾です。天皇陛下におねがいして、一日も早く降伏してください」 これを見て、教授たちは講義中に被爆した角尾学長の病状にいい知れぬ不安を抱いた。学長は頭や背中にガラス片で傷を受けたが、翌日から腸に出血に悩まされている。 「どうも赤痢のようですね。陸軍病院ならいい薬があるんだが」 角尾学長は、そう自己診断され、貴重な新薬を手に入れたが、いっこうに血便は止まらなかった。教授たちは、はじめて恐るべき放射能症に直面させられたのである。 戦争は終わったというのに、未知の放射能症が、それから40日間にわたって人々を恐怖の どん底に突き落とした。大学教授たちも、浦上第一病院の私たちも、このとき以来、みずからがモルモットとなり、命をかけ日夜原爆症と取り組むことになる。 (中略) 爆心地から同心円状で症状がかわる 被爆以来、全身火傷やガラス創などの治療に専念してきた私は、八月十三日ごろからあたらしい疾病に直面した。 あとになって原爆症とよばれるものである。 その症状の患者は十六日をすぎると、にわかに数を増し、数日中に症状が悪化して、バタバタ死んでいく。患者の年齢や抵抗力の強弱によって、死までの時間に多少のズレがあるが、ハッキリといえることは、爆心地からの距離によって放射量に大小があり、それが激症、中等度症、弱症の区別をつけていることであった。(省略)弱症の人たちは、一週間ほどのあいだに、じょじょに症状があらわれて死んだ。...
原爆症と食塩治療
目次 身近にあった戦争の痕跡 原爆は特別の恐怖 原爆症と食塩治療 放射能症に苦しむ日々がはじまる 爆心地から同心円状で症状がかわる ミネラル栄養論を治療に実践 身近にあった戦争の痕跡 終戦から78年の時が流れて時代は変わりました。戦争に対する感受性やとらえ方が変わったと感じます。私の少年時代、昭和40年から50年は戦後たった20年から30年しかたっておらず、周りには戦争体験をした多くの大人たちがいました。3年前に82歳で亡くなった私の母もその一人で、小学校3年生だった時に現在の北朝鮮から日本に引き揚げてきた経験をもっていました。祖母、祖父の口からその話を聞いた記憶がありませんが、私は母から何度も戦争体験を聞いて育ち、母は亡くなる前に、孫子の世代まで伝えるようにと、引き揚げ時の手記を私に託して逝きました。そんな母に育てられ、「はだしのゲン」(中沢啓次)、「太陽の子」(灰谷健次郎)、「ガラスのうさぎ」(高木敏子)といった文芸作品に接することで戦争への恐怖と、反戦の心構えのようなものを培われた気がしています。昭和の時代に育った同年代には同じような体験をした方も多いのではないでしょうか。 原爆は特別の恐怖 戦争の悲劇のなかでも広島と長崎の原爆(水爆)の話は、子供心にも特別に恐ろしく、人が人に対してなぜこんな恐ろしいことができたのだろうかという疑問を強くもったものでした。その苦しみは経験した方にしかわかりませんが、昭和という時代に育てられた私たちは、その苦しみを、今よりも近くで想像できた者として、戦争の悲惨さと恐ろしさを次の世代に伝える役目があると思っています。 原爆症と食塩治療 私のブログは「塩と水」をテーマにしており、今回は原爆症と食塩治療についてご紹介しようと思いますが、重く痛ましい歴史に対して、軽々しい持論を展開するべきではないと考え、淡々と、このような逸話があったという事のみ、原著を引用させていただく形でご紹介させていただこうと思います。引用書籍 「死の同心円 ―長崎被爆医師の記録―」(秋月辰一郎) 著者紹介/秋月辰一郎・・1916年長崎市生まれ。京都大学医学部卒。1940年長崎医科大学放射線科に勤務。1944年浦上第一病院の医長となる。1945年8月9日同病院勤務中に原子爆弾が投下される。浦上第一病院は大破したが倒壊を免れ、入院患者も職員も直接被爆の犠牲者はひとりもでなかった。地獄絵のような被爆地で多数の患者の治療に専念。被爆医療のかたわら「長崎の証言の会」の会長をつとめるなどして被爆体験、被災資料の収集につとめた。1972年吉川英治文化社会賞、1973年読売新聞医療厚労賞、1975年朝日賞などを受賞。著作活動にも業績を残した。2005年永眠。 書籍「死の同心円」にある著者近影写真 秋月辰一郎医師 ~場面は終戦後から、秋月医師の苦悩が描かれます~以下、引用(死の同心円、130pより) 放射能症に苦しむ日々がはじまる 夜、私は全身に叩かれたような疲労を感じた。一週間近く病院の庭でごろ寝し、診療に走り回ったせいばかりではない。なにかあると思ったとき、私はふと自分の症状がレントゲン・カーター(レントゲン宿酔)に酷似していることを自覚した。長崎医大付属病院で、私は永井隆助教授の助手として1年間放射線教室に勤務したとき、何度かレントゲン・カーターに苦しめられた。これは、連続してX線の深部治療をうけた患者に見られる一種の病的症状である。医師も週のはじめから毎日X線の透視をやっていると、金曜日ごろになるときまって気分が悪くなった。X線は、多量にあれば人間の細胞を破壊する。幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞など、生命現象の営みの盛んな細胞は、X線によって壊死する。 原子爆弾はいかなる放射線を生じるのだろうか。ラジウム、レントゲン、ガンマー線に似たようなものが、人間の造血組織や骨髄組織を破壊するのか。だから紫斑病のような患者があらわれたのだ。私はそこまで推理したが、その先はわからない。 終戦を転機にして、あちこちで原子爆弾という言葉が口にされ、長崎の人々をおびやかした。八月十三日ごろ、空から撒かれた米軍のビラを手に入れた長崎医大の教授の話によると、それは菊花の御紋章とともに、つぎのような文章が印刷されていたという。「日本のみなさん。広島、長崎に投下された新型爆弾はおそろしい原子爆弾です。天皇陛下におねがいして、一日も早く降伏してください」 これを見て、教授たちは講義中に被爆した角尾学長の病状にいい知れぬ不安を抱いた。学長は頭や背中にガラス片で傷を受けたが、翌日から腸に出血に悩まされている。 「どうも赤痢のようですね。陸軍病院ならいい薬があるんだが」 角尾学長は、そう自己診断され、貴重な新薬を手に入れたが、いっこうに血便は止まらなかった。教授たちは、はじめて恐るべき放射能症に直面させられたのである。 戦争は終わったというのに、未知の放射能症が、それから40日間にわたって人々を恐怖の どん底に突き落とした。大学教授たちも、浦上第一病院の私たちも、このとき以来、みずからがモルモットとなり、命をかけ日夜原爆症と取り組むことになる。 (中略) 爆心地から同心円状で症状がかわる 被爆以来、全身火傷やガラス創などの治療に専念してきた私は、八月十三日ごろからあたらしい疾病に直面した。 あとになって原爆症とよばれるものである。 その症状の患者は十六日をすぎると、にわかに数を増し、数日中に症状が悪化して、バタバタ死んでいく。患者の年齢や抵抗力の強弱によって、死までの時間に多少のズレがあるが、ハッキリといえることは、爆心地からの距離によって放射量に大小があり、それが激症、中等度症、弱症の区別をつけていることであった。(省略)弱症の人たちは、一週間ほどのあいだに、じょじょに症状があらわれて死んだ。...

花に水をやるように、自分にも水を
目次 雨に濡れた植物は美しい 人も光合成の恩恵の中で生きる地球型生物 木や花と同じように自分にも水をやろう 連休中は自分に水をやる絶好の機会 雨に濡れた植物は美しい お盆前、楽しみにしていた連休に台風が近づく天気予報で気をもんでおられる方も多いかと思います。 ここ愛川町でも不安定な天気で、昨日は時折まとまった雨が降りました。朝、庭にでると庭木や花たちが艶やかな様子で、雨ふって良かったなと感じました。 庭木のミカンがみずみずしい 植物は水と二酸化炭素、太陽光線によって光合成をおこなって、自らブドウ糖を作るという素晴らしい能力をもっていますが、水がなければ枯れてしまいます。 人も光合成の恩恵の中で生きる地球型生物 地球に生命が誕生したのは海からで、古代の海に大量繁茂した藻の光合成が生命の出発点になっています。光合成がなければ生物の進化はありませんでした。人間・「動物」は植物を食することで、生命を維持しています。植物がなければすべて生命活動は断ち切られる。地球という生態系の不思議なメカニズムです。 木や花と同じように自分にも水をやろう 全ての栄養素は水にとけて、はじめて体内に取り込まれます。水溶性でないものは毒にも栄養素にもなりません。私たちは自分の庭木や花に水をやることを忘れません。水をやらないと枯れてしまうことを知っているからです。しかし、自分自身にきちんと毎日、水をやっていますか?という問いにどれだけの人が自信をもって答えられるでしょうか?水分補給と勘違いをして、甘いジュースや、嗜好性の高いお酒や飲料をとっていませんか。私もビール大好きです。ただし、それはきちんとした水、水分摂取が土台にあってこその楽しみだと思っています。お酒を飲む時はお水も一緒に飲みましょう。こうすれば変な酔い方をしなくてすみ、心地よいリラックス時間を楽しむことができます。 連休中は自分に水をやる絶好の機会 連休中にいろいろな予定があると思いますが、是非、ゆっくりと体をやすめて、自分に水をやる時間を作ったください。意識して水分(塩分も)をするだけで、連休明けのやる気とポテンシャルが変わるはず、これを忘れて、暴飲暴食をすると連休疲れをため込むことになりますよ。 お盆連休、楽しみましょう! 嗚呼、台風よ、それてくれ~
花に水をやるように、自分にも水を
目次 雨に濡れた植物は美しい 人も光合成の恩恵の中で生きる地球型生物 木や花と同じように自分にも水をやろう 連休中は自分に水をやる絶好の機会 雨に濡れた植物は美しい お盆前、楽しみにしていた連休に台風が近づく天気予報で気をもんでおられる方も多いかと思います。 ここ愛川町でも不安定な天気で、昨日は時折まとまった雨が降りました。朝、庭にでると庭木や花たちが艶やかな様子で、雨ふって良かったなと感じました。 庭木のミカンがみずみずしい 植物は水と二酸化炭素、太陽光線によって光合成をおこなって、自らブドウ糖を作るという素晴らしい能力をもっていますが、水がなければ枯れてしまいます。 人も光合成の恩恵の中で生きる地球型生物 地球に生命が誕生したのは海からで、古代の海に大量繁茂した藻の光合成が生命の出発点になっています。光合成がなければ生物の進化はありませんでした。人間・「動物」は植物を食することで、生命を維持しています。植物がなければすべて生命活動は断ち切られる。地球という生態系の不思議なメカニズムです。 木や花と同じように自分にも水をやろう 全ての栄養素は水にとけて、はじめて体内に取り込まれます。水溶性でないものは毒にも栄養素にもなりません。私たちは自分の庭木や花に水をやることを忘れません。水をやらないと枯れてしまうことを知っているからです。しかし、自分自身にきちんと毎日、水をやっていますか?という問いにどれだけの人が自信をもって答えられるでしょうか?水分補給と勘違いをして、甘いジュースや、嗜好性の高いお酒や飲料をとっていませんか。私もビール大好きです。ただし、それはきちんとした水、水分摂取が土台にあってこその楽しみだと思っています。お酒を飲む時はお水も一緒に飲みましょう。こうすれば変な酔い方をしなくてすみ、心地よいリラックス時間を楽しむことができます。 連休中は自分に水をやる絶好の機会 連休中にいろいろな予定があると思いますが、是非、ゆっくりと体をやすめて、自分に水をやる時間を作ったください。意識して水分(塩分も)をするだけで、連休明けのやる気とポテンシャルが変わるはず、これを忘れて、暴飲暴食をすると連休疲れをため込むことになりますよ。 お盆連休、楽しみましょう! 嗚呼、台風よ、それてくれ~

愛川町でシネマ&マルシェに参加します
秋の夜の第1回愛川シネマナイト 目次 愛川町に引っ越して半年・・・ 元気はつらつ魚本さん!! 楽しみな愛川仲間との出会い イベント詳細(仮) 愛川町に引っ越して半年・・・ 今年のバレンタインデー・2月14日に愛川町町民となり、はや半年たちました。愛川町は神奈川県の北西部に位置する自然環境豊かな土地で、都心からのアクセスもよいためにキャンプ地としてもにぎわいを見せているところです。地元に流れる中津川は自宅から歩いて約10分のところにあり、たまに水に浸かって涼んでいます。近所に流れる用水路の水が綺麗なのが気持ちよく、この猛暑でも朝夕には涼しくなるところも気に入っています。 中津川、今はキャンプ客でにぎわってます この半年間は購入した中古物件のリフォームや引っ越し手続きなどでバタバタとしており、地域に目をむける余裕もなかったのですが、暮らしも少し落ち着いてきたので、そろそろ地域の面白スポットを開拓していきたいと思っているところでした。Facebookのグループに 愛川町が好きな人を見つけて、登録させていただき、その投稿を拝見していたのですが、ここで↓こんな投稿をする人を見つけて、早速アポをとり、お話を伺うことにしました。 元気はつらつ魚本さん!! 企画主催者は魚本愛理(Eri Uomoto)さんという素敵な女性でした。名前がもう愛川町にジャストフィットしていますね。魚がすむ綺麗な清流の本(もと)、愛川の愛が名前にあり、それを形にする、理(ことわり)をととのえる人として、きっと愛川町に呼び寄せられたのでしょう!!お若いのですが、物事をてきぱきと分析しながら、思い切った行動もとれる感じが、なんとなく、戸塚のこまちプラスを運営する森代表に近い雰囲気を感じました。こういう方たちはなぜか、応援する人に恵まれて、物事動かしていくのですよね~。 そのオーラをしっかりと感じとれたので、微力ながら魚本さんのお手伝いをさせていただくことにさせていただきました。 手前のおやじが邪魔ですみません!!(笑) 開催日は10月13日と14日。まだ上映する映画の内容は公表できないのですが、エンターテイメント性があって誰もが楽しめる映画を上映する予定です。上映前にはマルシェも開催し、ここで源気商會の塩、塩こうじ、味噌、カレールーを販売する予定です。 楽しみな愛川仲間との出会い 魚本さんはすでに地元にいろいろとつながりを作られているようで、このイベントでも多くの愛川町関係者の皆様との出会いがありそうで、楽しみにしています。愛川町は水よく人よく、あくせくしておらず、ゆったりとした暮らしができる場所として、これからもっと魅力的な場所になっていくのではないかと予想しています。そのお手伝いを微力ながらできれば、私の愛川ライフもますますと楽しいものになっていきそうです。 10月13日、14日は現地にいますので、是非遊びに来てください~ よろしくお願いいたします!! イベント詳細(仮) 場所the PARK(観泉荘こまや敷地内)日時10月13日(金)19:30~10月14日(土)19:30~14日は日中シネママルシェを同日開催 主催:the PARK & Harapanstudio 魚本さんのインスタ Harapanstudio魚本さんのショップのインスタ Harapanshop
愛川町でシネマ&マルシェに参加します
秋の夜の第1回愛川シネマナイト 目次 愛川町に引っ越して半年・・・ 元気はつらつ魚本さん!! 楽しみな愛川仲間との出会い イベント詳細(仮) 愛川町に引っ越して半年・・・ 今年のバレンタインデー・2月14日に愛川町町民となり、はや半年たちました。愛川町は神奈川県の北西部に位置する自然環境豊かな土地で、都心からのアクセスもよいためにキャンプ地としてもにぎわいを見せているところです。地元に流れる中津川は自宅から歩いて約10分のところにあり、たまに水に浸かって涼んでいます。近所に流れる用水路の水が綺麗なのが気持ちよく、この猛暑でも朝夕には涼しくなるところも気に入っています。 中津川、今はキャンプ客でにぎわってます この半年間は購入した中古物件のリフォームや引っ越し手続きなどでバタバタとしており、地域に目をむける余裕もなかったのですが、暮らしも少し落ち着いてきたので、そろそろ地域の面白スポットを開拓していきたいと思っているところでした。Facebookのグループに 愛川町が好きな人を見つけて、登録させていただき、その投稿を拝見していたのですが、ここで↓こんな投稿をする人を見つけて、早速アポをとり、お話を伺うことにしました。 元気はつらつ魚本さん!! 企画主催者は魚本愛理(Eri Uomoto)さんという素敵な女性でした。名前がもう愛川町にジャストフィットしていますね。魚がすむ綺麗な清流の本(もと)、愛川の愛が名前にあり、それを形にする、理(ことわり)をととのえる人として、きっと愛川町に呼び寄せられたのでしょう!!お若いのですが、物事をてきぱきと分析しながら、思い切った行動もとれる感じが、なんとなく、戸塚のこまちプラスを運営する森代表に近い雰囲気を感じました。こういう方たちはなぜか、応援する人に恵まれて、物事動かしていくのですよね~。 そのオーラをしっかりと感じとれたので、微力ながら魚本さんのお手伝いをさせていただくことにさせていただきました。 手前のおやじが邪魔ですみません!!(笑) 開催日は10月13日と14日。まだ上映する映画の内容は公表できないのですが、エンターテイメント性があって誰もが楽しめる映画を上映する予定です。上映前にはマルシェも開催し、ここで源気商會の塩、塩こうじ、味噌、カレールーを販売する予定です。 楽しみな愛川仲間との出会い 魚本さんはすでに地元にいろいろとつながりを作られているようで、このイベントでも多くの愛川町関係者の皆様との出会いがありそうで、楽しみにしています。愛川町は水よく人よく、あくせくしておらず、ゆったりとした暮らしができる場所として、これからもっと魅力的な場所になっていくのではないかと予想しています。そのお手伝いを微力ながらできれば、私の愛川ライフもますますと楽しいものになっていきそうです。 10月13日、14日は現地にいますので、是非遊びに来てください~ よろしくお願いいたします!! イベント詳細(仮) 場所the PARK(観泉荘こまや敷地内)日時10月13日(金)19:30~10月14日(土)19:30~14日は日中シネママルシェを同日開催 主催:the PARK & Harapanstudio 魚本さんのインスタ Harapanstudio魚本さんのショップのインスタ Harapanshop