「お塩は命の源。元気の活力です。」
こういった単純なキーワードをよく使う。
私自身もお塩をきちんと摂ることで、体調がよくなった実感があるので、なんだか体調がすぐれないな、という友人には、まずお塩とお水を摂ってみたら、と勧めることがある。
これがすんなりとうまくいく場合とそうでない場合があり、うまくいく場合はすぐに便通がよくなったとか、イライラがなくなりよく眠れるようになったというわかりやすい「快」の状況がやってくる。
対してうまくいかない場合は、手足が浮腫む、下痢、原因不明の痛みが生まれた、頻尿になったという「不快」の症状がでる。
これをお塩とお水をとった事による「副作用」ととらえたり、あるいは症状が改善される「好転反応」ととらえたり、人それぞれ解釈が違ってくる。
私のところにも、よくこういった相談の電話がかかってくるのだが、これはなかなか対応が難しい。私自身には医師免許もなく、まして相談をしてくる方の病歴や現在のコンディション、食生活、生活習慣がわからないからだ。なので、丁寧に具体的なアドバイスはできないのだが、と前置きをして、塩と水がなぜ必要なのか、その原理をお話するようにしている。(※まずは、量を減らす、一時休止するというのも大事だ)
納得される方もいるし、そうでない方もいる。それはそれで仕方がないことだと思っている。
そんな事を繰り返していると、「お塩は命の源。元気の活力です。」
というワード自体が間違った誘導なのかもしれないと思う事がある。お塩を薬のように考え、効く効かないという判断を持ち込むからだ。
もう少し、お塩の居場所を当たり前のところに置きたいだけなのだ。あって当たり前、とって当たり前。そんな存在だ。
減塩というおかしなキャッチフレーズに対抗しよう無理をするから、こういう問題は起きてくる。
空気がないと生きていけません。それを否定する人はいないだろう。お塩もそれと同じものなのだ。
そのお塩をとって「不快」な症状がでるということは、明らかにどこかに問題を抱えているという事でしかない。
そして次のステップ、その「不快」に対してどういうアプローチをするかはその人の生き方そのものだと思う。
今年の流行語大賞にノミネートされそうな勢いの「自己責任」というと、なんだかとても冷たい言い方だが、自分の健康あるいは病気に対してどういうアプローチを選ぶかは、やはり自己責任であり、そのアプローチの真贋を見分けるにはボーっと生きていてはいけないのだ。