ヴァイキングと塩ダラ

中世ヨーロッパでは捕鯨が行われ、塩浸けのクジラ肉は、カトリック教徒が肉食を禁止される金曜日においても、例外的に食せる「肉」として重宝されていました。

 

新鮮な鯨肉は金持ちの口にしか入らなかったため、貧者に行き届くのは、塩漬けされた「クラスポワ」という、クジラの脂身の切り身でした。

 

クジラの脂身に塩を浸透させることは難しく、樽に詰めて強く圧力をかける必要がありましたが、これにとって代わったのが、白身の底魚である「タラ」でした。タラは脂身が少なく、表面に塩をまぶしておくだけで塩漬けにすることができたため、塩ダラはヨーロッパ各地に広がっていきました。

 

タラは北方の海にしかおらず、北方では海水から塩を作る製塩ができなかったため、塩ダラ交易の鍵を握ったのがヴァイキングたちでした。

 

ヴァイキングたちの活動拠点のひとつが、フランス北部に流れるロワール川河口にあるノーワールムーティエ島でした。ここには天然の塩の干潟があり、この塩がタラを塩漬けするために用いられました。ただ、フランスでも北方に位置するこの干潟では、製塩の効率があがらなかったため、人工池を複数作って天日乾燥させるようになりました。

 

この人工池での製塩の流れをくむのが、日本でも人気の高い「ゲランドの塩」です。9世紀から10世紀ごろに、製塩のためにフランス沿岸や、スペイン南部に人工池が作られて、塩の生産量が増大していきました。

 

今でもこの地方では、四角に整備された塩田で、塩職人たちの手によって、昔ながらの天日塩が作られています。

ゲランドの塩田

塩ダラ市場は莫大な利益を生んだため、ヴァイキングたちがこれを独占しようと海路ルートをおさえ、塩の生産にも関わった記録が残っています。塩ダラ交易で一儲けを企んだヴァイキングの企みが、この塩を生んだのかもしれません。

コメントを残す