フランス革命と塩

フランス革命と塩

フランスのゲランドの塩は、世界的に人気のある塩です。バルディエと呼ばれる塩職人が天日干しの塩をかきわける光景が、この塩の魅力を高めています。

【ゲランドの塩をモチーフにしたフランスの切手】

 

フランスには海塩以外にも、ロレーヌ地方でとれる岩塩があり、フランス産の塩は高級塩というイメージが定着しています。

塩は、フランスの歴史にも深く関わってきました。

フランス革命前はガベルと呼ばれる塩税が課せられ、ガベルに違反すると投獄され、死刑にされたことから「忌むべき物」として、フランス王政の不公正の象徴にもなっていました。

1660年、ルイ14世は、ガベルを国家収入の主要財源とみなして、「義務の塩」を統治区に課しました。

八歳以上の住民は全員、年に7キロの塩を高額な政府価格で買わなければならないものでしたが、ソーセージやハムの加工用に使うことは違法とされ、違反者は「塩の詐欺罪」で厳しい刑を課せられました。

宗教上、自殺は悪とされていたため、自殺した者はその遺体を塩漬けにされて、判事の前に引き出され、さらし刑に処せられたという記録が残っています。

政府が塩の価格をつり上げることで発生したのが、塩の密売「闇塩」です。

塩の密売者は低価格の塩を売って大もうけをしましたが、彼らは庶民の人気者でもあったようです。

それに対してガベルをとりたてる「ガブルー」と呼ばれる徴収人は嫌われ者で、粗野な無法者が多く、武器を携帯して特権を乱用しました。

 

1789年、国民議会の設立をとなえて蜂起した民衆によって、フランス革命が起こります。

改革のひとつとして、国民議会はガベルを廃止し、ガベル違反者全員を釈放しました。

ガベル以外にも不公正な階級制度や、貴族への反感が革命の引き金となりましたが、ガベルへの長年積もり積もった不満が、フランス革命の原因のひとつであったことは間違いないようです。

塩を適切に民に配らなかったことが、フランス王政のしくじりとなったわけです。

フランス皇帝の座についたナポレオンが、再びガベルを復活させますが、彼も後に国民の不満の高まりによって失脚してしまいます。

長いガベルの歴史が閉じられたのは1946年でした。

14世紀から20世紀にかけて、フランスの税収の多くを塩が担っていたことになります。

塩税の歴史は、古代ギリシアにまでさかのぼるということですから、人類にとって一番古い税金なのです。

 【参考文献:塩の世界史(中公文庫)】

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