今年のお正月は、ありがたいことに、 家族と穏やかで楽しい時間を過ごしました。
笑って、美味しいごはんを食べて、 「ああ、幸せだな」と思える瞬間が、ちゃんとある。
でもその一方で、 家族のなかには不安や心配事もあって、 楽しさの横に、苦しさがある。 完全にクリアではない、靄がかかったような感覚もあるのです。
自分は今、楽しくていいのだろうか。 苦しんでいる人がすぐそばにいるのに、 何もできない自分は、ここで笑っていいのだろうか。
そんな問いが、ふと浮かんできます。
何かをしてあげたい気持ちはある。 でも、できることは限られている。 下手に手を出すことで、 かえって傷つけてしまうこともある。
その「何もできなさ」と向き合うこと自体が、 実は、けっこうつらい。
それでも私は、 弱さを切り捨てる社会ではなく、 弱さとともに生きる社会で暮らしたいと思っています。 いつでも、自分だって弱くなる存在だから・・・
元気な人だけが前に進める社会ではなく、 立ち止まっている人が 「そこにいていい」と言われる社会。
何かを成し遂げなくても、 回復しなくても、笑えなくても、 ただ生きていることが許される場所。
そういう安全地帯があれば、 誰にでも、回復のチャンスはあるはずです。
誰かを救うなんてことは、 上から目線で、自分にはできません。 できるのは、 一緒にいること、 一緒に考えること、
少し手を貸すことくらい。
苦しんでいる人の存在を、なかったことにしない。 楽しい時間の中でも、忘れない。 「一緒に生きている」という感覚を、手放さない。
それくらいなら、できる気がしています。
楽しさと苦しさは、
同じ世界に同時に存在します。
笑いながら、心が痛むことがあってもいい。
完全にハッピーではない状態を抱えたまま、
誰かの苦しみを完全には引き受けられなくても、
その存在を忘れずにいること。
その時に笑える人が、灯りを消さないこと。
それが、ともに生きるということなのかもしれません。