再生加工塩とは・・
様々あるお塩の製造方法のなかで独自のポジションを占めているのが「再生加工塩(さいせいかこうえん)」です。
再生加工塩とは、海外から輸入した塩を原料に、ニガリや海水を添加して作られるお塩です。原料となるお塩は、広大な塩田地があるメキシコ、オーストラリア産の天日塩です。塩化ナトリウムの純度の高い精製塩と自然塩の中間的な位置にあるお塩でもあり、価格も手頃で入手しやすいため、日本の食生活に広く浸透しています。
再生加工塩の代表銘柄・・
再生加工塩の代表的な銘柄として知られているのが「伯方の塩」・「赤穂の天塩」・「シママース」があります。
自然塩運動の先駆者たち
この3つのブランドの共通の源流は1970年代に展開された「自然塩運動」です。
「伯方の塩」・「赤穂の天塩」・「シママース」は、現在でもよく議論されている、「体にとってよい塩は何か?」というテーマに取り組んだ先駆者たちが生み出したお塩ともいえます。
1970年代の自然塩運動
塩田廃止法(塩業近代化臨時措置法)は1952年に発布され、日本国内の塩田を廃止して、より近代的な製塩方法への移行がすすみました。1971年には塩田が全廃され、イオン交換膜式製塩法に切り替わりました。
イオン交換膜法で作られた塩が高純度の塩化ナトリウムであること、政府の専制的なやり方への反発がおき、塩田復活や、塩化ナトリウム以外のミネラルを含んだお塩、自然塩を望む一連の消費者運動が「自然塩運動」と言われています。
写真【伯方の塩HPより】
自然塩運動の旗頭
自然塩運動と関わりが深かったのがマクロビオティックです。食と健康への関心が高かったマクロビオティックの実践者が自然塩運動を先導し、海水を原料とした自然塩製造の許可申請と、製塩方法の確立を目指しました。リーダーの一人、故・菅本フジ子さん(日本自然塩普及会)が関わり、生まれたのが伯方塩業株式会社です。
消費者団体が起ち上げた塩の会社(伯方の塩)
伯方塩業株式会社は、愛媛県の伯方島を拠点に、海水を原料とした自然塩を製造することを目的に設立されました。この創業に深くかかわったのが、日本自然塩普及会の故・菅本フジ子さんでした。菅本さんはマクロビオティックの実践者でもあり、マクロビの観点から塩化トリウム100%に近い精製塩は体に悪影響を及ぼすと考え、天然・自然塩を復活させる運動の中心にいました
※マクロビオティックとは、戦前の1930年代に桜沢如一が提唱した食養生法。白米や砂糖は避け、玄米を中心に野菜、海草、豆などを食べる穀菜食を実践する。自然と調和して生きる東洋哲学ともつながる思想。
自然塩運動の趣旨
- 食物は自然に近い方が良い。化学薬品を使い、化学薬品のように純化された過精製のイオン交換膜製塩を食用に強制する必要は全くない。人畜への安全性も確かめられていない状態で世界に先駆けて急ぐ必要はない。
- 生命維持に関わる基本食料である塩を選択する自由を奪うのは基本的人権の侵害である。
伯方塩業株式会社の設立時に、一口10万円の無担保・無保証・無期限の「塩による出世払い」で出資を募ったところ、たちまち数百万円の出資が集まったそうです。当時の熱気が感じられるエピソードです。
しかし、自然塩復活への道は険しく、政府からは以下のような制約がかけられました。
◆ 国がメキシコやオーストラリアから輸入していた「原塩(天日塩田塩)」を 利用すること。海水から直接塩をつくってはいけない。
◆平釜(熱効率が悪い釜)を使うこと。
◆専売塩を誹謗(ひぼう)してはならない。
◆袋のデザインや文言の変更も専売公社の確認をとること。
この条件をのみながら、自然塩にできるだけ近いものを作ろうと生み出されたのが「伯方の塩」でした。
伯方の塩の原料となる塩は、メキシコのゲレロネグロ塩田、オーストラリアのプライス塩田で天日乾燥されたお塩です。この天日塩は高純度な塩化ナトリウム主体のお塩で、にがりをほとんど含んでいないために、にがりを含んだ瀬戸内海の海水でいったん、完全に溶かして濃い塩水をつくり、これを煮詰めて塩をつくっています。
【伯方の塩HPより】
伯方の塩(しっとりタイプ)の成分分析は、食塩相当量95.5g、マグネシウム100~200mg、カルシウム50~200mg、カリウム10~150mgとなっています。
分派した完全天日塩派~海の精~
自然塩運動を先導したもう一人の人物に谷克彦氏がいらっしゃいます。最初、谷氏は菅本フジ子さんと志を同じくしていましたが、途中から距離をとるようになり、学者らとともに伝統的な海塩の復活を目指して「食用塩調査会」(のちに日本食用塩研究会に改称)を結成し、研究を名目に伊豆大島の製塩試験場で、太陽と風の力だけで塩をつくる完全天日製塩つくりに取り組みました。
その成果が、1980年から会員配布という形で流通することになった「海の精」(海の精株式会社)です。
谷氏も熱心なマクロビ実践者であったことが記録に残っており、自然塩運動の原動力としてのマクロビオティックの存在の大きさを感じます。
谷氏は赤穂の天塩の開発にもかかわっており、まさに塩に人生をかけた人でした。
自然塩運動の理想
今、日本の市場で様々なお塩が流通し手に入ることは当たり前の事ではなく、先人たちの苦闘の積み重ねがあってあることがわかります。
当時は、様々な葛藤があり、きれいごとばかりではなかったと想像されますが、その源流には、人が自然と調和して生きることを目指した「理想」があったのだと思います。
その理想の純度が高いほど、時にそれは人を傷つける諸刃の刃ともなりますので、私自身はその理想は鞘におさめつつ、より柔軟な姿勢で塩と向き合っていきたいと思っています。
★参考文献
『海の精を求めて 塩運動二〇年の歩みと今後の展望』(1990年)
『塩入門(食品知識ミニブックスシリーズ)』(尾方昇著、日本食糧新聞社、2011年)
『塩 いのちは海から』(マルジュ社、1981年)
★参考サイト
DIAMOND ONLINE ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)
伯方の塩 HP 伯方の塩® - 伯方塩業株式会社 (hakatanoshio.co.jp)