在宅介護の初日。様々な立場、役職の専門家が集まって、母の今後の看護について打ち合わせをしてくれました。
【ちょっと偉そうな母】
初めてお会いする方々ばかりなのですが、近所の開業医の若先生、ケアマネージャーさん、介護士さん、皆さんフランクで、医師からは母の最後の症状について起こるだろう可能性と、その対処方法の選択についても説明をしてもらいました。
母の希望は「延命措置は行わず、できるだけ苦しまずに逝く」というシンプルなもので、それを皆さんが共有してくれる姿は、それそれのスキルを活かしてタスクをこなすプロジェクトチームのようにも映りました。
このプロジェクトチームのゴールは「母の死」であることで間違いないのですが、今はそれにむかって最善をつくそうというポジティブな意思を感じることができました。
それを可能にしているのは母の迷いない明快な意思なのだと思います。リーダー(?)の意思が明確なので、チームの混乱は最小限で抑えられそうです。
若い医師に「私がもっているカードはこれよ。」と尊厳死協会のカードを見せると、若先生は「訪問介護していて初めてみました。」と感心をしてくれました。
医師にもケアマネージャーにも「迷い」が消えたような瞬間だったような気がします。
【記念写真をお願いした。笑顔で!!医師からは初めてです!!と言われました】
それは自分も同様で、これは自分の課せられた宿命的な「仕事」なのだ。と最近は感じるようになってきました。
あらかじめ手配をしていた「手当食とその材料」が続々と届きました。
昼間、母は非常に元気そうに見えることがあり、特に人が来て、話をする時は顔だけは病人には見えません。
動けず座っているしかできず、あれこれ細かい要望を伝えてくるので、たまに、これは「死ぬ死ぬ詐欺」なのではないだろうか、と思ってイラっとすることさえあるのですが、夜になって息苦しく眠れない姿を見ると、やはりそう長くはないのかという思いがわき、この感情の落差を消化するのは大変です。
母の病気はネガティブなことに違いないのですが、家族がさらにお互いの存在の大切さを再確認しているポジティブな面もあると感じています。
人生、プラマイゼロ。良い事の裏に悪い根がはっていたり、悪い事の裏に良い種があったりするものです。
母はそれを直観的にわかって生きてきた人なので、今の状況は最悪であるけど、それを楽しんでいる風情さえ感じることがあります。
このプロジェクトがどうなるのか、これからも記録していきます。