ある夜の我が家の食卓

ある夜の我が家の食卓

近所の友人から釣りたてのアジをおすそ分けしていただいた。これがアジか!というくらいビックリの大きさで、50匹くらい釣果があったらしく、小学生の息子さんが20匹を釣り上げ、腸の処理もしてくれたらしい。素晴らしい!!

塩焼きと刺身にしていただいたのだが、刺身を作ったのはうちの二人の息子たち。魚を見て「これは刺身でしょ!」と小骨もとり、ウロコも綺麗に処理をして、骨付き部分は油であげる念の入れようだった。

長男がさばいたあじの刺身

二人の美味いものを食べたいという執念を感じて、私は少し敗北感を味わったのだが、この執念を育んだのは、うちの経済事情と妻のたゆまぬ料理作りだと思っている。

私が2012年にお塩の専門のネットショップを立ち上げた時、息子たちはまだ小学生だったが、収入は低く、家族で外食などというのは稀なことだった。

少ない収入をやりくりして家庭の食卓を守ってくれたのは妻で、ジャンクなものや、お手軽なお惣菜に頼る事もなく、毎日、質素ながらきちんとした食事を用意してくれた。

これが家族全員が病気もせずに元気に暮らしてきた肝だったと・・。日頃、感謝を伝えることも疎かななのだが、そう思っている。

妻が用意してくれるごはんはいたってシンプルで、朝食はほぼ毎日、ごはん、味噌汁に納豆。以上!という感じ。

お昼の弁当も、具入りのおにぎり3個!なのだが、そんな毎日の食事を息子は、うまい、うまい、と言って食べて育ってきた。

たまに帰省する実家のごちそうにビックリし、世の中にこんなうまいものがあったのか!という食の体験も積み重ね、うまいものを幅広くきちんと学んだ。ここは亡くなった母に感謝している。

そして、彼らはうまい飯にありつくには人に任せていてはダメだ!という学びを得て、自ら美味いものを用意する姿勢を身に着けたのだと思う。

うまい飯を食べたい!という気持ちはそのまま「生きる力」になったと思う。未熟な部分だらけだが、その部分については、二人の息子は良い感じに成長した。

私も彼らに負けず、うまい飯を食べたいという執念だけは持ち続けたい。

それは美食でなくてよい、ごくありふれた普通の毎日のうまい飯だ!!

山形で食べたうまさを再現したい、次男が調合した山形のだし・・・

 

我が家の定番、ぬか漬け

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