母の看取り・7 ~塩と水で安らかに逝った母へ~

一時は家族で母の死を覚悟して、そのための準備をはじめていた我が家ですが、一昨日から潮目が変わったようです。

昨夜も2,3時間おきのお小水があり、便も匂いもあまりない健康そうな便がでてきました。何より、食欲が復活し、一時は早く楽になりたいと弱音を吐いていた本人に生きる意欲が再び沸いてきたことをそばで感じています。

11月8日に発症した突然の動脈乖離により入院を余儀なくされ、その治療中に腎不全を発症した母ですが、病院では一時的な簡易透析や、利尿剤の服用をしましたが症状は改善できず、透析を拒否したことにより病院側からは治療措置がない以上は退院をしてもらいたいという通告がありました。

緩和ケア病棟への再入院も打診したのですがガン患者で空きがなく断られてしまった。その時は、病院というシステムの冷たさに母も父も腹をたてていたのですが、むしろ私は母を手放してくれた事はラッキーだと思っていました。

 入院中担当をしてくれた看護師や若い医師は誠実に母に接してくれ、その仕事ぶりを目の当たりにすると感謝しかありませんでした。こういう方々が世の中を支えてくれているのだと感じています。

 特に担当の若い医師は、尊厳死を望んで透析を拒否した母の気持ちを汲んでくれ、「土井さん、在宅になってなにかあっても救急車は呼んではダメだよ。」と教えてくれました。

救急車を呼んでしまうとそのまま強制的な延命措置をとらざるを得なくなるからです。いかに自然に死んでいくのが難しいかを肌で感じた瞬間です。

病院に感謝したいのは、まずは動脈乖離という現象が体の中で起きていることを究明してくれた事。その治療として2週間の絶食治療を施してくれたことです。絶食中、母の肌ツヤが良くなっていくのを見て不思議でした。2週間の絶食が母の命をとりあえずは救ってくれたのだと思っています。

 その一方で病院に改善していただきたいと感じたのは病院食でした。

いかにも美味しくなさそうな食事。この食事では回復は無理だろう。五感でそう感じました。栄養バランスは考えられている食事だとしても、生気が感じられない餌のようなものに私には映ってしまいました。

 在宅介護中に母に与えた食事はシンプルなものばかりでしたが、素材にはこだわり、母はそういったものを好んでくれました。

従来は甘いものや果物が好きでしたが、そういったものは一切うけつけなくなり、クリスタル岩塩で作った生姜塩汁をベースに、にゅう麺、おじや、おかゆ、これに昆布ダシ、梅干しで味付けをして食べてもらいました。

 改めて、命をつなぐ食事とは何かという事を考えたましたし、食事こそが最後の望みでした。

母が「在宅にしていつ死んでもええわ。」と開き直り、家族が母の周りにいる精神的な要素も大きかったと思います。そして、オシッコをだしてくれるように体を緩めるトリガーとなったのが、ヘンプエキスだったのかもしれません。

 今までの経過については全てに感謝するしかないと思っています。

 今日は看護師が往診にきてくれて血圧を測ると上が180あるという事で心配してくれたのですが、私としては、血液が一生懸命今働いてくれている証のような気もしています。

本人は不快感などはなく、頭もクリアーでスッキリしているそうで、降圧剤を飲むべきだと指摘されるが、さてどうしたものか。悩みます。

 

試行錯誤の在宅介護の日々が続いている。

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